部誌の創刊号を見ながら、この原稿を書いています。記念すべき部誌の創刊号は、「楕円球」というタイトルがついています。また、表紙には白波瀬さんの原稿にあったイラストが掲載されています。
部誌では、創部当時のことを記載しなくてはいけません。この部がどのようにしてできたのか。何のためにできたのか。30年もの時間が経過したのであればなおさら、始まりは大切です。創部当時のことは実は私は知りません。医学部に入る前に既にラグビー部は創部されていました。そのため、ここに記載した内容は白部さん、下山さんの両先生にお聞きしたことの記憶に基づきます。現在の記憶と部誌の創刊号に書かれた内容と異なるので、真実は両先生にお聞きするしかありません。
1988年の薬理(病理という説もある)の実験室にて、当時学二(現在の4年生)であった白部さんと下山さんが、「何かおもしろいことはないかなあ。」と話し合ったのが始まりのようです。出席番号が近かったことと運動神経が優れていましたことより、新しい挑戦を求めていました二人がたどりついたのがラグビーでした。二人で決めたラグビーであったが、当時も15人いなければゲームができません。そこで、他のクラブからメンバーを集めてきました。フォワードは柔道部から、そしてバックスは陸上部から。大橋、塚本、田野口、片山、小原、壺内、中野の各先生方が次々に入部しました。いずれの先生方も他の部の主将であったり、主力選手であり、パワー、スピードという点では申し分ありません。事実、当時の体育会蹴球部(ラグビー部)に所属しています選手を多く知っている者として、医学部ラグビー部に所属する個々の選手の身体能力は優れていましたと断言できます。白部・下山両先生の学年からは菅先生も入部しました。出席番号が近いということもありましたし、アイスホッケーの選手であり、やはり身体能力が優れていました。
第一回の記念すべき合宿は山中湖で今からちょうど30年前のゴールデンウィークに行いました。すばらしい合宿でした。ボールはひとつでしたが、そのボールには、慶應大学医学部蹴球部とともに英語でバーバリアンズと書かれていました。このボールのことは今でも覚えております。新入部員として、梅澤、白波瀬氏がおりました。練習では、柔道の練習もありました。フッカーを私はやっていましたので、大外刈り、大内刈りが上手だと白部先生から褒められ嬉しかったことを記憶しております。普段の練習は小金井または第一勧業銀行(当時)グランドで行いました。六人の選手でスクラムを組み、ラインアウト、キックオフの練習を行いました。練習後に白部先生がアイスクリームを購入してきてくださり、とてもおいしかったのを記憶しております。
東医体参加の一回目は千葉の運動場で行われました。試合自体は新潟大学に0対80で敗れました。初陣であり、完敗でしたが、正直申し上げて点差ほどの実力差があったとは思えません。戦略面で徹底されていなかったことと、ルールを完全に選手がこなしていなかったことが敗因でしたが、今後のラグビー部の前途が明るいことは感じさせました。集合写真を撮る時には、皆晴れやかな笑顔で次年度への期待が感じられました。その時のメンバーの中には医学部以外の選手(他学部の経験者)も混じっておりました。この状態は長く続きました。医歯薬リーグへの参加は、昭和大学で行いました。やはりこちらも完敗でしたが、下山先生がトライをしたように記憶しております。
個々の選手の身体能力が優れていたことより、チームが強くなるのには時間はかかりませんでした。もともと、選手ひとりひとりのパワーそしてスピードは他の大学の選手より優れていたわけですから、試合慣れさえすれば勝利は自然とこちらに転がり込んできました。
第一次黄金時代のメンバーです(敬称略)。
FW: 白部、大橋、梅澤、森、菅、小原、白波瀬、塚本、壺内
BK: 伊部、下山、田野口、中野、片山、金馬、安藤、小内(法学部政治学科)
よくスクラムトライをしました。白部先生、大橋先生の両プロップが強力であり、ゴール前は必ずスクラムトライを狙いました。当時は、トライをしても喜びの表情を表さないという時代でしたが、われわれはスクラムトライの後は相手の前で遠慮なく、片手をあげて雄叫びをあげました。もうひとつのトライの取り方は下山先生の縦攻撃です。今でも記憶しているのは先ほどの対昭和大学戦で自陣から一人でもっていったトライです。他の部員は誰もフォローしていませんでしたのでタックルされればそれまででしたがトライまで一人でもっていきました。下山先生のスタジアムジャンパー(なつかしい響きです)にはトライの数だけ星のマークがついていました。それだけトライしたということです。
私自身は、残念ながら主将としては満足できるような活躍をしませんでした。主将をしていたある朝に練習に来たのは、宇都宮氏、赤星氏、依光氏の三名でした。四名で練習しました。その後、宮坂氏、市原氏がやってきました。練習では六名程度でいつも行ってきました。試合も入れ替え戦以外は全敗でした。悔しかったですが、試合を無事出来たことが嬉しかった時代です。試合ができる喜びが勝敗よりもまさっていては勝てませんね。幸運にも弱かったのは私が主将のときだけで、先輩、後輩には恵まれました。ありがとうございます。心よりお礼申し上げます。その時のさまざまな経験は今に生きています。医学部でラグビーができたのはこのクラブのおかげであり、繰り返しになりますが先輩方、後輩の方々には感謝の気持ちでいっぱいです。
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